昨日のアサヒ・コムに仮説検証に関する大変おもしろいエッセイが載ってました。
人間が食べ物をうまいと思う感覚を、科学的に定義し、かつ実際にそれを検証しようという話です。グルメの医者数人が、おいしいと言われているイベリコ豚が普通にスーパーで売られている豚と比べて本当においしいかどうかを科学的に検証しています。
問題に対する仮説、すなわちうまさの定義を考え、その仮説の検証法を考え、それを実験を通じて検証する。まさに、仮説思考そのもののアプローチです。
後は私がくどくど申し上げるより、実際の記事を読んでいただいた方がおもしろいと思います。
asahi.comの健康コーナーにある真田歩さんというお医者さんがかかれた「医局の窓の向こう側」というコラムです。
http://www.asahi.com/health/medicalasahi/TKY200702050130.html
我々コンサルタントの世界でも、そもそもどんな仮説を立てるのかというのがもっとも難しくて、その次に難しいのは検証方法です。この場合はそのどちらも無事(?)クリアしたわけですが、最後に落とし穴があったのですね。
ビジネスの世界では、仮説思考はまだまだなじみが薄いですが、科学や医学の世界では仮説思考は実は常識です。それを使って、こんなおもしろいことをやっている方がいるなんて、感動しました。
ということで、異業種格闘技の起きやすい業界(5)の続きは明日に回します。
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食べ物のおいしさって、とても不思議ですよね。
ブログにあるように「食べ慣れ」ということももちろんですが、その料理の温度、一緒に楽しむ飲み物、テーブルの明るさ、音楽、一緒に食べる人、そのときの会話なんかもとても大きく影響しますし。。。
以前、銀座で30年以上経営しているある老舗のバーで和牛フィレステーキサンドを食べたときも、その和牛フィレステーキはもちろんのことパンがおいしくて感動し、きっと秘密があるに違いないと思い、バーテンさんからようやくどこで売ってるのか聞き出したところ、、
「実はそこ(銀座八丁目博品館そば)のハ○○○のパンで、、、」という話でとても驚いたことがあります。
そのとき一緒に行った仲間とバーテンさんとで、
◎食べやすいサイズ
◎ちょうどよい焼き加減
◎おいしく食べて欲しいという作り手の愛情
が揃えば、素材の質なんて凌駕するって瞬間は間違いなくあるよね、なんて話しをしたことがありました。
(余談ですが、それ以来、そのお店に行くとおなかが一杯でもステーキサンドを食べてます。)
飲食店の場合、多かれ少なかれこうした一つ一つの要素がどう組み合わさると最適なのかということを考えて日々運営しますが、やはり検証可能なレベルまできめ細かく考える=仮説を立てているお店の方が成功しているな、と感じますねぇ。
Shiさんへ
仰るとおりですね。おいしいかどうかは、絶対的なものではなく、シチュエーションでどのようにも変わってしまうと思います。好きな人と食べれば、たいていのものがおいしく食べられますし、職場の上司と出来れば食べたくない飯の場合は何を食ってもおいしくないと思います。
私の場合は仕事柄、おいしいと言われるレストランで食事をする機会が多いのですが、残念ながら味を十分吟味を楽しみながら食べることはほとんど出来ません。根が不器用なのか、食に対する興味が薄いのか、会話に夢中になってしまい、味をまるで覚えていないことがしばしばです。
それより、仕事のことを何も考えずに食べることが出来る街中のカレー屋さんの500円のカレーの方がよほどおいしいと思ってしまいます。
今日も代官山にあるしゃれたレストランで、企業の経営者二人と食事をしてきたのですが、会話の中身は覚えていても何を食べたかはあまり覚えていません。知人や家族からは、あなたに高級レストランや食材はもったいない、代わりに食べてあげたいと、あきれられています。