あけましておめでとうございます!
本年もよろしくお願いします。
少し前の日経新聞に作家の道尾秀介さんという人がプロムナードというコラムに「光の見つけ方」というタイトルで素敵なエッセイを書いていました。オカリナ奏者の宗次郎さんが大好きで、宇都宮までコンサートに行ったそうだ。オカリナというのは知っての通り焼き物で作られた非常に素朴な楽器だ。あまりたくさんの音が出ない。それなのに、宗次郎さんのメロディーは非常に記憶に残る。それがなぜだろうという話である。
その理由を道尾さんは、楽器の音域が狭いという制約から来ているのではないかといっている。そうした「できないこと」の中で「できること」を探し求めたとき、人はそこに誰も知らない鉱脈を発見する。手を使ってはいけないサッカー選手が華麗なる足技を披露するのも、ミステリー小説という条件が厳しい中で素晴らしい作品が生まれるのも、制約があるからだというのが通尾さんの主張である。
私もこの考えに賛同を覚える。コンサルティングの仕事でも、何をやっても良いとかあるいは企業に余力がたくさんあって、何でもできますという企業の戦略を考えるのは実は難しい。それより、ある程度の制約があって、その中で答えを見つける方が、顧客の納得性が得られやすかったり、成功する確率が高かったりする。
戦争も、どこから攻めても良いというと却って、力を手加減したり、油断したりすることがあるが、ここしかないと行った場合は死にものぐるいで戦うので、想定以上に成果を上げることがあるのではないだろうか。いわゆる背水の陣というのもこれに当たるのかも知れない。
私の友人で建築家の加藤隆久君も、家やビルのような建物を建てるときに、
南向きで真っ平らでかつ綺麗な長方形の土地、しかも前後に日照の制約もないといった好条件で素晴らしい建築物をデザインするのは難しいと言っていたことを思い出した。建築家は、土地の形が変であるとか、傾斜地であるとか、道路や日照の制約がきついと行った厳しい条件があった方が、創造性が却って発揮できて良い建物ができることが多いと言っていた。
道尾さんのエッセイはこう結んでいる。
何も芸術やスポーツだけじゃない。世の中のあらゆる物事にはルールというものがある。仕事、恋愛、家族、外出、遊び、飲食、睡眠—-いつだって、何をしていたってルールはついて回る。そんな窮屈な日常の中で、何とか光るものを掘り出そうとあがいているのが僕たちの人生だ。
今年も光るものを探し出す一年にしたいと思っています。よろしく。
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内田先生、あけましておめでとうございます。4月からお世話になります。光の見つけ方、興味深い視点ですね。制約の中にこそ光り輝く解があるはずと、仕事を通じて経験的かつ漠然と感じてはいましたが、文章で読むと改めて考えさせられます。最近流行りのTwitterなども140字という文字制限の中でいかに自分を表現するかという点がウケているのかもしれませんね。今年は一つでも多くの光を見つけたいと思います。どうぞ宜しくお願い致します。谷口
制約がある方が光るものができる
■内田和成のビジネスマインド:光の見つけ方
BCGの内田さんのブログを読んで。
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コンサルティングの仕事でも、何をやっても良いとかあるいは企業に余力がたくさんあって、何でもできますという企業の戦略を考えるのは実は難しい。それより、ある程度の制約があって、その中で答えを見つける方が、顧客の納得性が得られやすかったり、成功する確率が高かったりする。
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んー、同感。特に「顧客の納得性が得られやすかったり」のくだり。何かしらの制限があった方がこちらもロジックを組み立てやす…
初めてコメントさせていただきます。
「窮屈な日常の中で、何とか光るものを掘り出そうとあがいているのが僕たちの人生だ」
私の身の回りで普段窮屈なことが多いのか、
この言葉に勇気付けられます。
いつも楽しくブログを拝見してます。
今年もよろしくお願い致します。
tatsurotさんへ
コメントありがとうございます。
4月からWBSですか。歓迎しますよ。
Twitterの140文字の制約も確かにそうかも知れませんね。そう考えると短歌の31文字や俳句の17文字はもっとすごいですね。
naitakaさんへ
会社に入って最初のうちは、なんて自由にできないところなんだと思い、将来偉くなったらもっと自由にやれるのにと思ったのですが・・・。
どんな組織でも、偉くなればなるほどしょっているものが大きすぎて、自由にやれることが少なくなってしまうという皮肉もありますね。でも、それを打ち破るのが変革のリーダーだとも言えます。