2週間ほど前の日経新聞スポーツ欄のコラム「スポートピア」に体操女子の日本監督である塚原千恵子さんが「言う・言わないの勘所」と称して、若い選手の育て方についてエッセイを書いていた。
17・8歳の選手の導き方が難しいという話だ。体操のように若いときから選手権に出るような選手はそのモチベーションを長年にわたって保つのが難しいようで、高校までは体操クラブで頑張っていても、高校卒業時にはそのままクラブで体操を続けるかあるいは大学に進学して大学の体操部で頑張るか悩むそうである。
そりゃそうだろうなと思う、誰でも一生体操で食っていけるとは思っていないだろうから、大学くらい行ってみたいとか、あるいは青春を少しは楽しみたいと思っても批難は出来ない。
塚原さんもそう思うから、「大学に行っても仕方がない、クラブに残った方が良い」と口から出したいのを我慢して、選手や親の判断を尊重して自主性に任せる。すると、多くの選手が大学進学を選択し、結局体操選手としてはだめになってしまう例をたくさん見てきたとのことである。
このあたりが指導者としてつらいところであるが、結局、選手が自分でこうしたい、あうしたいと言うようにならないとだめだというのが彼女の指導理念らしい。
全く同感である。若い人(といっても私の場合は20代・30代のビジネスパーソンであるが)を指導する場合、あうせいこうせいというと必ず後でうまくいかない。本人が納得しないのを無理矢理やらせても、うまくいった場合はまだしも、うまくいかなかった場合に簡単に人のせいにする。うまくいった場合でも学んでくれればいいが、結局は自分の力と過信して、次は失敗してしまう。
およそ人間は自分で納得しない限り、成長しないし、長続きしない。したがって、口を挟むのは本当に最後の最後まで我慢すべきである。あるいは本人が自分で考え始めたところで相談相手になるのが言い。ところが、これがなかなか出来ずに声を出してしまう人は多い。自分もそうだ。
一方で、いつまでも何も指導せずにいれば、これはこれで放任主義となってしまい、うまくいかない。所詮指導者は自分の器の中でしか人は育たないとあきらめて、辛抱強く指導するしかないというのが経験から学んだ私の結論だ。
実は似たような話を以前、キャプテンの唇と称してブログに書いたことがある。興味ある方はこちらをご覧下さい。
http://uchidak.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_79b9.html
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