本日の日経新聞5面オピニオン欄のコラム「領空侵犯」に私のインタビュー記事が載りました。
最近の風潮として、政治家は清廉潔白であるべきと言うのが強まっている気がします。しかし、今の日本に求められている政治家はルールを守る指導者ではなく、ルールを破る指導者だと思います。
なぜかと言えば、今の日本はこれまでの仕組みの延長上ではよりよい日本になり得ないからです。そのために、これまでの既成概念を打ち破り、今までの常識を壊して新しい世界を作っていくようなリーダーシップが求められます。別の言い方をすれば、これまでのルールを破って、新しいルールを作る必要があるのです。
ところが、小学校の時から校則を破ったことがない、あるいはおまわりさんの世話になったことがないような人間に、ルール破りすなわち今求められている改革が出来るわけがありません。
自分でナイフをいじって、間違って自分を傷つけてしまったり、ナイフで鉛筆を削り損ねて初めてナイフの使い方をマスターするのと同じで、ルール破りも経験が求められるのです。そうした経験のない人間が大人になってナイフを振り回すととんでもないことになります。ルールを破ったときに、何が起きるのか、あるいはどこまでなら大丈夫で、それ以上やると危ないという限界点などの経験が積まれていないからです。
したがって、今の日本のリーダーには過去にルールを破ったことのある人間、あるいは多少の不祥事は起こしたことのある人間の方がふさわしいというのが私の持論です。そうした人間が、大志を持って事に当たった方が、優等生が改革をするよりよほどうまくいくと思うのです。
したがって、マスコミは過去に起こしたつまらぬ事件や多少の法律違反に目くじらを立てるのではなく、彼(彼女)がこれから何をしようとしているのかを判断に評価したり、批判すべきと言うのが私の考えです。
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zuKaoと申します。久しぶりにコメントを投稿させていただきます。
今回のBlog記事は、タイトルを読んだ瞬間に「納得!」と思いました。(記事を読んで、先生ほど深く考えずに納得していた事は反省ですが。)
少々脱線するかもしれませんが、おそらく十数年前にビートたけしさんがTVで言っていた事を思い出しました。
「政治家は、悪い事をやってもいいから、国民に見つからないようにやってくれればいいんだけどなぁ」
ビートたけしさんの事ですから、TV用の毒舌という意味合いもあるのでしょうが、それからはずっと、政治の局面を迎えるたびに、たけしさんの言葉を思い出してきました。
もちろん、清い政治家が国民の為に政策を実行してくれれば一番よいのですが、以下の(1)と(2)なら、(2)の方が国民の為にはなるなぁ、と思ってきました。
(1)清いが、国民の為になる政策を実行しない政治家
(2)多少清さはないが、国民の為になる政策を実行する政治家
さらに乱暴な言い方をすれば、国民に分からないように(多少の)悪い事をするのが、政治家としては一流なのかとも考えるようになりました。
乱文、失礼しました。
zuKao
内田先生
ご無沙汰をしております。随分以前に書き込みをした、青学で生徒でした平河内です。
今回の先生のご意見も全くその通りと思います。自分の身にあてて、どちらかというと優等生型の自分を見つめて、変えていく参考とさせていただきます。
また、私は福島県の田村市出身です。
様々な角度から、わが郷土への応援ありがとうございます。
今回の記事の通りで、地域から出ている、所謂、(見た目)清廉潔白型の某政治家にはがっかりさせられます。
ともあれ、自身の人間としての成長を目指していきます。ありがとうございました。
ルールを破るにもどのルールを破るかという問題はあると思います。
以下の二つであれば賛成です。
・ルールのせいで見えていない未知の領域に踏み込む(戦車の行く手を遮ったらどうなる?)
・「大義のために小義を捨てる」
が。昨今の政治家のルール破りはどちらも当てはまるとは思えません。
また、「漢字が読めない」なんてルール破りですらないことを書き立てるマスコミに「やろうとしてること」を評価できるとも思えません。