今日の日経朝刊(25日付け)のシンポジウム「ニュースを読む」に紹介されていた沢木耕太郎の基調講演抄録が良記事である。
一言で言えば、日本の新聞におけるスポーツ欄の記事には、誰の意見がはっきり書かれていないのが問題だと指摘している。
例えば、インタビュー記事の最後に、「もう泣き虫王子とは言わせない」と書いてある。これが選手が言ったのなら、「私はもう泣き虫王子とは言わせない」になるはずだし、記者の意見なら「もう泣き虫王子とは言わせないような選手になるだろう」となるはずだという。
ところが、日本の記者は、摩擦を恐れるのか、自分の責任を回避するのか、主語をはっきりしないまま記事にすると言う。一人称か三人称かが書かれていないのである。
以上が沢木さんの意見だが、私は全く同感で、ビジネスの世界でも私生活でも、誰の意見か分からないようなものの言い方が氾濫している。これでは、良いビジネスマンになれるわけがない。自分の意見として、言い切ることは当然リスクがある。せっかくの発言や見解が裏目に出ることもあるだろう。あいつこんな事を思っているのかと反発されることもあるかも知れない。しかし、言い切ってこそ、なるほどと思われることもあれば、芯のある奴だと思ってもらえる。別の言い方をすれば、その発言に責任を持つことになるし、個性も発揮できるのである。
さらに失敗して始めて、次はこうしたらいいかも知れない、あるいはこう考えるべきだったとか反省することが出来る。そして、成長することが出来るのだ。失敗を恐れて曖昧な表現を続けても、いつまでたっても学ぶことが出来ない。
間違っても、「○○のような意見も出て、これはやらない方が良いと思われています」的なもの言いをしないように気をつけよう!
あるいは、「若い人の間では、こちらの方が人気があるようです」なんて発言も無責任だ。だから、どうなんだ、というところまで言い切ろう。
だから、私は自分の講義では、必ずこう言う。「クラスの恥はかき捨て、会社の人は誰も見ていない。だから思い切り、馬鹿なことを言おう。そうこうしているうちに、だんだんまともな意見が言えるようになる」と…。
沢木さんは講演の最後の方で、こんなことを言っていた。
「自身の責任を明らかにして物語をつくるのは恐ろしいことだ。勇気が必要だ。」
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昔、先輩コンサルタントから、「スタンスをとれ」と言われて最初は違和感を覚えていたのが、いつの間にかそれが普通、という感覚に変わっていったのを思い出しました。
プロフェッショナルなビジネスパーソンになれるかどうか、という意味で、「言い切る(=スタンスをとる)」のは一番重要な山だと思います。