久しぶりに20の引き出しネタである。「電子マネー」の引き出しに入っている「宅急便と1万円」のネタはどう使うのかと言えば、これはセキュリティーをどこまで国や事業者が整備すべきかという問題を議論するときの材料として使う。
電子マネーや新しい社会システムで、犯罪に使われるのを防ぐためにやや過剰なまでのセキュリティーをかけることでかえって使い勝手が悪くなり、それが理由で普及しないことがよく起きる。たとえば、かつての電子マネー(モンデックスやVISAのスーパーキャッシュなど)なども使い勝手よりは安全性に重点を置きすぎたために普及しなかったのではないかと推察している。。
現在でいえば生体認証の銀行キャッシュカードがいい例で、確かにセキュリティーの度合いが高いかもしれないが、高すぎてかえって不便になってしまっている。たとえば技術的に互換性がないために他行で使えないとか、CVSのATMではほとんど使えないなどの不便さがあり、結果として全く普及していない。
私の持論は、セキュリティーを議論するときには、消費者の問題意識の高さを過小評価すべきでないという論者である。消費者は馬鹿ではない、リスクを自分で判断しているのだ。
たとえば、母親が田舎から都会に出ている子供へ衣料品や食べ物を宅急便で送るときに、1万円くらい忍ばせるのはよくある話である。それでは、母親は宅急便では現金を送ってはいけないことを知らないのであろうか。そんなことはない。逆に言えば万が一荷物がなくなったときに、荷物そのものの損害賠償は請求できるがお金は返してもらえないことを知っているのだ。それなのになぜ宅急便に現金を送るのであろうか?
それは彼らが利便性とリスクを天秤にかけて、それで利便性を取るという判断をしているのである。と言うのも宅急便というのが相当正確な物流手段で、送った物がなくなることは滅多にないということを知っている。かつ仮になくなったとして、1万円ならあきらめがつく。そのために、わざわざ別途銀行送金して5~600円の手数料を払ったり、現金書留という面倒な手段をとらないのである。
1万円送金して、毎回数百円の手数料を払うくらいなら、荷物があるときについでに送ってしまう方が、遙かに安くつくし面倒くさくない。そして間違いもほとんどない。すなわち、自分の頭の中でどれくらいの頻度で問題が生じ、それは自分の許容範囲かどうかを感覚的に計算しているのである。それが証拠に、毎月の生活費を都会で暮らす息子や娘に宅急便で物を送るついでに忍ばせている親の話は聞いたことがない。10万円を超える金額は、万が一なくなったときに許される許容範囲を超えているからである。
したがって、セキュリティ議論をするときに、システムや法制度で100%を目指すのではなく、消費者や利用者の自己責任と言うことも考慮に入れて仕組みを考えた方が、結果的に低コストでなおかつユーザー視点に立った者が出来るため、普及にもつながるというのが私の考え方である。
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