今月の私の履歴書は、帝人の元社長の安居祥策さんだ。
本日(10月26日)の話は経営者を長くやっていると、下からの情報が上がってこなくなるから危険だという話でした。そのため彼は、役員会でみんなに意見を言わせたり、アドバイザリーボードを作ったりしたと書いてありました。
でも私の話したい話はこれではありません。
社長になると話が入ってこなくなるというくだりで、彼はこう書いてました。
「経営者は情報量が3割しかない段階で決断しなければならない。5割になるのを待っていたら遅い」
これがまさに経営の本質あるいはもっといえば経営者の孤独な意思決定の本質です。
私も常々、情報が揃うまで待って意思決定したのでは遅い。今ある情報で、どれだけ優れた意思決定が出来るかが経営者に求められる要素であり、これは訓練で高めることが出来ると言っています。全く同じ話を安居さんがしているのを読んでうれしくなりました。
ただし、安居さんはだから独りよがりにならないように、人の意見を聞こうと続けます。私はそうではなくて、3割の情報でも企業(組織)にとって、優れた意思決定が出来るためには仮説思考が大事であるとつなげます。
でも、本質は同じだと思っています。みんながなるほどと納得するような案は既に”Too late”です。だからといって、未来のことはどうせ分からないのだからと、当てずっぽうに物事を決めるのも経営者失格です。どうやって、意思決定の質を高めるか、これこそが良いリーダーになるためのカギでしょう。
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新聞を読み返して見ました。
どれだけの情報が自分に上がってくるのか、一流の経営者が具体的な数字を記載している点が驚きです。
システム開発の現場などでは、よくマネージャやリーダが自分に重要な情報が集まらないと嘆く場面を見ますが、やはりそこは仮説思考で対応するのですね。
そんなリーダに限って、XXXというアクションをとってみても良いか?と聞くととめられます。(愚痴です)
heraさんへ
同じ事実あるいは現象を見ても人によってみるところも違えば、感じるところや示唆を受けるところも違います。
経営者は事業運営や組織のマネジメントに関係するところを重点的にピックアップしますし、一方で現場に近い人はもっと日常のオペレーションに影響するとこに反応します。これが、生活者や芸術家となると、当然企業とはは全く違うところに反応します。
これが機械と違うところですね。機械なら、あらかじめ組み込まれて現象にのみ反応しますか。だから人間はおもしろいなと思います。
内田先生、こんばんは!
面白いなと思ったのは、経営者に上がってくる三割の情報の中に、すでに経営判断に必要な重要情報が含まれている点です。
逆に考えると、全ての情報が経営判断には必要ないと言えるかもしれませんね。
また、知り得た部分情報から市場や問題の全体像を把握するのは、数学でいえば微分方程式を解くのに似ているとも思いました。
足らない情報は何らかの形で埋める必要があると思うのですが、その一つが仮設思考という方法でしょうし、安居さんの他人の話を聴くという方法もそうだと感じました。
TAKEOさんへ
少ない情報から、どうやって結論を導き出すのか、あるいは仮説をどう組み立てるか。これは科学やロジックなのか、それとも経験や度胸なのかというのは永遠のテーマかもしれません。
私の先輩の堀紘一さんも、現在起きている新しい事柄のほとんどは実は数年前には兆候が現れていて、後はそれに気づくかあるいは気づいたとしてもその後を予測できるかの問題だとよく言ってました。