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さよなら赤プリ

先日のニュースで赤坂プリンスホテルが閉鎖されると聞いて寂しいと思っている。最近は名前が違うらしいがこちらの方がよく知られているので、そのまま赤坂プリンスホテルと呼ぶ。

と言うのも小学校の頃、学校と自宅のちょうど中間にあったのが赤坂プリンスホテルで行き帰りの通り道だった。夏になると屋外プールにいかにも金持ちそうな人や時々はスター(今はタレントと呼ぶようであるが)を見かけること多かった。もちろん中には入れないので、格子越し(と言っても隙間だらけで丸見えだったが)に眺めるだけだったが、いつかはここのプールで泳ぎたいと思ったものだ。

その隣にはNHKのテレビ塔があったが既に東京タワーに役目を譲って、実用には使われていなかった。そのすぐそばで習字を習ったりしたが、まったく字は上手にならずに今日に至っている。私を知る人は私が習字を習っていたと聞くと目が点になるはずだ。

さらに少し回り道をすれば、弁慶橋や清水谷公園も遊び場で、弁慶橋の上から割り箸にスルメをぶら下げてザリガニを捕ったり、缶詰の缶で清水谷公園の池の小魚を捕って遊んでいた。
昔から何かに熱中すると他のことを忘れてしまう癖があり、家に帰ると「ランドセルはどこにやったの?」と聞かれて、しまったと思うことが良くあった。もちろん、公園や道ばたに置きっぱなしで帰ってしまうのである。

ちなみにもう1箇所の遊び場は今の国立劇場と最高裁判所のあるところで、当時は米軍の宿舎跡と言うことで荒れ野原だった。そこで段ボールでそりを作って遊んだり、パチンコで雀を撃ち落とそうとして遊んでいた。
昭和30年代ではあるが、都心にも田舎と同じような遊び場があったのである。

こうした子供時代の思い出の一つである赤坂プリンスホテルがなくなってしまうのは寂しいが、きっと何か素晴らしい施設として蘇るのだと信じよう。もし、単なる高級マンションやオフィスビルになってしまうようだと、それは寂しいことであるが、西武も決して楽ではないわけだから、あれだけの土地を遊ばせておく訳にはいかないのであろう。

ちなみに当時通っていた小学校(永田町小学校といって、校章が国会議事堂だった)は、児童数減少で既に何年も前に廃校になっている。

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