昨晩のテレビのニュース番組で新しい形のビジネスとして、衣料問屋の土橋商店が始めた在庫処分品をバルクで一般消費者に売る『服箱』という商品が紹介されていた。
服箱というのは福袋の袋の代わりに箱が使われていて、中にどんな商品が入っているか分からないがお得な商品が入っている意味だと経営者の土橋さん(37歳)が言っていた。
元々は問屋、ディスカウントストアあるいはブティックなどが大量に仕入れたが売れ残っている衣料を数千点単位で安く仕入れ、それを定価の何分の一かで売って儲けを出すというビジネスが本業の店だ。たとえば定価7000円程度のジーンズがたとえば5000着売れ残っているとして、それを全量買い上げる。その代わり全部買うから1着100円でとなるわけだ。そうすると仕入れ値はせいぜい50万円である。そのジーンズを1着500円程度売れば十分儲けが出る。消費者も多少型遅れだったり、売れ筋でないにしろブランド品のジーンズが500円で買えれば大満足と言うことらしい。
ここまでなら、結構ありそうな話である。でもこの服箱というのはさらにおもしろい。というのはバルクで買った商品を詰め直して、今度はいろいろなサイズやデザインあるいは様々な種類のファッション製品を組み合わせて、段ボールに入れセット商品として一般消費者に売る。
たとえば、定価で買えば1点1000-5000円程度するスカートやブラウスなどが入った商品を50点で一箱2500円程度で売る。元々の定価で計算すれば10万円分ほどになるから、もし気に入った方商品が何点かあれば十分元が取れる。ただし、中に何が入っているかは事前には分からないし、選択も出来ない。その意味で福袋のコンセプトそのものである。
しかし、一人でそんなにサイズも合わない、あるいはデザインの気に入らない服を買ってどうするのかと思った私は甘かった。彼らはそれをヤフーオークションにかけたり、フリーマーケットに出品して販売するのである。すなわち個人販売をやっているわけで、この服箱はその仕入れに相当する。50円相当で仕入れた商品を300円から500円で売って元を取るというのが、そのビジネスモデルだ。もちろん、気に入ったものは自分で使ったり、家族で使ったりする。
そして土橋さんがこれを思いついたのも、そういう消費者がいることに気がついたからだそうで、ネット時代の申し子のような商品だと自ら語っていた。
このあたりを詳しく知りたい方は土橋商店のホームページをご覧ください
http://www.chougekiyasu.com/product_info.php?products_id=5404
私などの想像を超えたところでCtoC(Consumer to Consumer)のビジネスが進んでいることを実感した。
実は私は1999年から2000年にかけて、インターネット時代は企業から消費者に情報主権が移る消費者主権主義の時代だと言うことを述べているが、10年経った今、そのことを強く実感できている。
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以前、テレビ番組「ガイアの夜明け」か何かで見たものの中に同じようものがありました。
ここは、小売店や卸が抱えているアパレル、ブランド品などの大量在庫品を買い取り、様々な在庫パーツを組み合わせ、消費者へ新たな価値観を訴求しながら(激安で)販売する。
例えば、ベルト、ワンピース、サンダルなどの在庫品を別々の業者から買い取り、これらのパーツをもとに女性社員らがオリジナルにコーディネートする。さらに専属モデルがそのコーディネートを装い販売用に写真撮影を行い、消費者に商品をアピール。コーディネートが気に入った消費者はセットで購入することも少なくないとのこと。
単体のパーツでは魅力が薄れてしまっていた商品でも、それを上手に組み合わせることによって新たな魅力を作り出す。なかなか面白い取り組みかなと。
この事例で思ったことは、我々は自社の商品やサービスばかりに目を奪われがちですが、顧客のライフスタイルや行動様式を観察することによって、意外な価値連鎖を創造することが可能なのかもしれないということでした。
この会社だったかな。
http://shoichi.co.jp/
長文失礼しました。
土橋商店の土橋です。
私の商売魂に共感頂きまして、とても
感動しております。
これからも、新しいアイディアを考えて
楽しい商売をしていければと思います!
是非、今後も何か公演などのご依頼などが
あれば、お問合せ頂ければ幸いです。
土橋様
直々のコメントありがとうございます。
機会があれば是非直接話を聞かせてもらえればと思います。
どうもありがとうございます。
foxtrotさんへ
私もその番組は見た記憶があります。岐阜あたりの会社ではなかったかと思いましたが、大阪のようですね。
視点を変えると新しいビジネスチャンスが生まれるというのは、どの業界でも、いつの世の中でも真理だと思います。